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家庭学校に、東京オリンピックゆかりの『樹木展示林』!

                                                 オホーツク野人クラブ
                                                       河原 英男

 あまり広く知られていませんが、遠軽町留岡34番地にある「北海道家庭学校」の裏山、通称「五日山」の一角に、1964年東京オリンピック大会ゆかりの「樹木展示林」があります。
 東京オリンピック開催にあたり、参加各国の選手団が、それぞれ自国の代表的な樹木の種子を持ち寄ったのだそうです。誰が、どのように呼びかけたのかは現在のところ不明とのことです。


 当時の家庭学校の通信紙「ひとむれ」(昭和43=1968=年6月1日付)によりますと、

 各国選手団が持ち寄った種子のうち北方系の樹種は、野幌の農林省林木育種場・光珠内にあった北海道林業試験場で発芽、幼木まで育てた、
とあります。

 昭和43年4月25日、家庭学校を訪問した北海道庁の馬渕さんという方が「この記念樹をどこに植えたら各国選手団の好意に応えることができるか、北海道として苦慮している」と語ったことが記されています。

 昭和43年の5月1日、当時、家庭学校に勤務されていた秋葉・横山両先生が幼木を受け取りにトラックで赴いた、との記録も残っています。

家庭学校には、
 ・ダグラスファー (カナダ産)
 ・シトカトーヒ (カナダ産)
 ・ヨーロッパトーヒ  (カナダ産)
 ・ヨーロッパ赤松   (ブルガリヤ産)
 ・ヨーロッパ赤松   (フィンランド産)
 ・ロッチボールパイン (アイルランド産)
 ・ルーベントーヒ (アイルランド産)
 ・メタセコイヤ    (アイルランド産)
 ・コルシカマツ (アイルランド産)
 ・モンタナマツ    (アイルランド産)
の十種類のマツの仲間が届けられ、大部分は平和山の一角に、一部は家庭学校の敷地内に植樹したとされています。
 家庭学校の正面玄関前にあるメタセコイヤは、50年前に東京で開催されたオリンピックゆかりのものかと思われます。



 現在は朽ちてしまった当時の看板【写真上】(雑誌「スポーツゴジラ」第22号より転載、遠軽町出身で著名なスポーツ写真家・岸本健氏撮影)には、次のように書かれています。

          昭和39年東京オリンピックの際、各
          国選手団が自国の代表的植樹用樹木
          の種子を持ちよったものを、道林業試験
          場が育て、本校に幼苗を提供されたも
          のであり、本道の代表的樹木との比較
          栽培をしている。
             昭和43年5月


 東京オリンピックゆかりの樹木は遠軽の他に、東京・代々木公園原宿門近くの「樹木見本園」として残っているのだそうです。

 北海道家庭学校は1914(大正3)年、留岡幸助により創設されました。(彼をモデルにした映画『大地の詩』が2011年公開されている。)

 同校は、教育農場として堅堅(かたがた)な土台を構築するまでに長い年月が流れ、その道程は決して平坦ではありませんでしたが、1968(昭和43)年3月、厚生省(当時)の認可を受け、社会福祉法人として経営主体を東京家庭学校と上水保育園を運営する法人から完全に分離・独立した大きな節目の年でした。理事長には留岡清男氏が校長兼務で就任し、翌年には校長職が留岡清男氏から谷昌恒氏に引き継がれました。

 奇しくも、今年は家庭学校創設100年の記念すべき年です。しかも、昨年の秋に、2020年開催のオリンピック開催が東京に決定しました。オリンピックが取り持つ縁、何とも不思議で素敵な話ではありませんか。

 田舎の小さな町・遠軽ではありますが、小さくとも光輝く地域であり、併せて、北海道家庭学校の新たな歴史が、これからも地域に根差して着実に刻まれていくことと在校生・同窓生が樹木展示林の樹木のように強く逞しく成長されることを切に願うばかりです。


   参考(引用)文献
     ・家庭学校通信「ひとむれ」(昭和43年6月発行 第305号)
     ・北海道家庭学校と留岡清男(藤井常文著 三学出版)
     ・スポーツゴジラ 第22号(NPO法人スポーツネットワークジャパン発行)
     ・北海道家庭学校





※傍線はメディア委員会で付けたものです。なお、中段の赤い傍線部分;浅野幸道氏は1985~1986年度会長、本吉春雄氏は現会員。
 同下段後;村上富之助氏は1967~1968年度会長。